2025年4月30日水曜日

昭和は64年もあったんやで

 もう過ぎちゃいましたが、今年も日本はゴールデン・ウィークで、「昭和の日」を迎えました。昭和37年生まれの私には、やっぱり今でも「天皇誕生日」と言った方が、なんとなく馴染む感じがしますね。生まれてから30歳近くになるまで、ずっとその呼び名だったもので。1989年の昭和天皇崩御の後、一旦は「みどりの日」なる、意味不明な位置付けになって、その後2007年に今の名前に落ち着きました。つまり、21世紀生まれの若い人たちにすれば、昭和の日が刷り込まれているんでしょう。

その「昭和」なんですが、フィリピン在住の身の上なので、ネット上の話題を見てそう思うだけながら、最近やたら「昭和」って言葉を目にする気がします。特に今年は昭和100年。余計にそうなんでしょう。私がまだ保育園児だった1968年が明治100年で、記念切手が発行されたのを覚えています。明治帝の誕生日だった11月3日は、今でも「文化の日」として、国民の祝日の地位を保持。大正は短過ぎたのと、いろいろ事情があるらしく、明治や昭和のような記念碑的痕跡がありません。

それはともかく、昭和のお話。一番頻繁に引き合いに出されるのが、セクハラ・パワハラの犯罪報道や、犯罪まで行かなくても、嫌がる若手社員を無理やり飲み会や社員旅行に連れて行く慣習についての記事。つまり、これらすべてが昭和的な悪しき伝統、みたいに語られるわけです。ポジティブな方向の代表格が「バブル期」や「高度経済成長」のイメージ。今開催中の万博や数年前の東京オリンピックは、良くも悪くも昭和の成功体験の再現。

ただ、私と同世代か少し上の人たちが、同じような違和感を持つと思うのが、64年間もあった昭和を、あまりにステレオタイプに語り過ぎという点。

例えば戦前と一括りにしても、昭和元年(1925年)から10年辺りまでは、まだ日中戦争前で、大正時代の大恐慌からの回復期。電気が普及し始めたり、ラジオ放送が始まったりで、意外と明るい時期だったようです。そこからの変わり目が、二・二六事件。以降、軍部への傾斜が進み、昭和20年(1945年)の敗戦までが、映画やドラマでお馴染みの、軍人や憲兵が威張り倒した暗黒時代。それも極端になるのは、最後の数年だけかも知れません。ちなみに私の両親は、共に昭和11年(1936年)生まれです。

この時代を描いた映画として、私が出色の出来だと思ったのが、アニメ「この世界の片隅で」。太平洋戦争が激化した昭和18〜9年以降でも、庶民はしかめっ面して、四六時中、我慢してわけはなく、時には大笑いもし、痴話喧嘩もして、普通に生きていました。もちろん私が生まれる前の話なんですが、大阪の下町暮らしだった母や親戚が戦後語った当時の話が、まさに「この世界の片隅で」のイメージで、広島弁を大阪弁に置き換えれば、よく似た雰囲気。ただ小学生で食べ盛りだった母は、いつも空腹だったとこぼしてましたけど。

敗戦直後の10年間となると、食糧危機やインフレで生活は決して楽じゃなかったんでしょうけど、戦争からの解放感で、全体としては明るい時代だったようですね。6人兄弟姉妹だった母もご多分に漏れず貧乏でしたが、周囲がほとんど同じような貧乏人ばかりだし、日々の生活に一生懸命で、自分たちが不幸だとは思わなかったそうです。

その次の、昭和30〜40年代(1960年代)が、前述の高度経済成長時代。映画で言うと「三丁目の夕日」。この映画と原作のコミックが、昭和の「正のイメージ」を作っちゃったと思われます。まぁノスタルジックに描けば、昔は良かったってことになるし、物語としてはその方が面白い。でも実際に当時を生きた私にすれば、嫌なこともいっぱいありました。

特に私は、公害や交通戦争で有名な兵庫県尼崎市に育ったので、友達が交通事故にあったり、メダカ採りをしてた小川がドブになったり、夏場、光化学スモッグで外で遊べなかったり。もっと身近な話だと、便所が汲み取り式で、今思えば臭気がすごかった。

一番暗かったのが、1970年代のオイルショックの頃。私が小学生から高校生になるぐらいまで影響が続きました。その不況の真っ只中、建築業界で働いていた父は、国内の仕事に行き詰まりドバイへ海外出向。ドバイと言っても、今の未来的な街並みが出現する、はるか前で、その基礎を作りに行ったようなもの。現地でも苦労したそうですが、ドバイにいる間に日本の会社が倒産してしまい、残された家族は、社宅から追い出されそうになったりしました。この経験があるので、フィリピンで家族の残して中近東へ出稼ぎするOFW(海外フィリピン人労働者)の話には、つい過剰反応してしまいます。

私も子供ながら、この時期は毎日すごく不安で、世間で流行っているのはパニック映画や「ノストラダムスの大予言」に代表される、この世の終わりや人類滅亡の大合唱。私が初めて自分の小遣いで観た映画が「タワーリング・インフェルノ」ですからね。「宇宙戦艦ヤマト」の第一回が、小学生の私に衝撃的だったのは、ガミラスの遊星爆弾、つまり核攻撃で人類が滅亡の危機に瀕しているという描写が、当時の子供向けマンガ(アニメというジャンル名が定着したのは、ヤマト以降)にしては、あまりにリアルだったから。

こういう比較は、就職氷河期世代に配慮を欠きすぎるかも知れませんが、世の中の不況感、不安感、名状しがたい不穏な雰囲気は、失われた30年よりずっと深刻だった記憶があります。

そういう経緯なので、私が大学に進学する頃のバブルの浮かれ騒ぎは、リアルタイム的には自然な反作用でした。就職した頃なんて、週に2回ぐらい終業後にディスコやビリヤードに行ってたし、数年上の先輩は、車を毎年買い換えると豪語。1年落ちぐらいなら、そこそこの値段で売れるので、ちょっと上乗せするだけでグレードアップできると言うわけです。私だけでなく、父は黒のベンツSDLというバカデカい外車に乗り、母でさえ株に手を出してたほど。

まさに、あの時代の「イケイケドンドン」感覚を体現してたのが、今袋叩きに遭っているフジテレビというわけです。フジの企業体質はちょっと極端に過ぎますが、今ならセクハラで糾弾される行為も、表立って認められていないにせよ、ことさら珍しくもありませんでした。ただ、アルコールがダメな私は、飲み会や社員旅行の強制参加は本当に嫌でした。その分の手当が出るならまだしも、プライベートな時間を潰される上に費用が自腹って、どんな罰ゲームなんだ。

そんな一種の狂騒状態のピークで、昭和が終わりました。1989年の1月7日の天皇崩御の報を聞いたのは、当時付き合っていた彼女のアパートの部屋。土曜日の早朝で、前夜から泊まっていた私は、まだ彼女とベッドの中。我ながら、若気の至りでしたね。

ということで、いかに昭和が長く変化に富み、単一のイメージでは語り尽くせない時代かを書こうとして、結局、自分史になってしまいました。今回は、あんまりフィリピンは関係なくて申し訳ありません。


新幹線と侍とガンダム

 ここ最近、フィリピン・ネグロス島に住んでるのに、日本のアニメや映画を一生懸命観ております。というのは、日本や諸外国に比べて、ほとんど10年か、それ以上遅れて、ブロードバンド化を果たした西ネグロスの州都バコロドとその周辺。バコロドの隣街である、ここシライ市でも、やっと数年前に光ケーブルが敷設され、現在、我が家の通信速度は、200〜300Mbps程度。時々止まったり、停電もあるものの、やっと本来のパフォーマンスで、ネットフリックスやアマゾン・プライム、ユーチューブの高画質映像が楽しめるようになりました。

単に、絵と音がきれいになっただけでなく、2020年代に入った頃から、日本製コンテンツが俄然面白くなってきた印象。アニメに関しては、もっと以前から日本国外からの評価も高く、ここフィリピンでも「ONE PIECE」や「鬼滅の刃」「進撃の巨人」に「薬屋のひとりごと」「SPY×FAMILY」「葬送のフリーレン」などなど、私が観てる番組だけでも枚挙に暇がないほど。ネトフリ経由でフィリピンでも視聴できるので、地元の友人や親戚とも、共通の話題で盛り上がることができます。

もう一作品、「宇宙戦艦ヤマト」と並んで日本アニメのバイブル的存在の「機動戦士ガンダム」。最新作の「ジークアクス」が、第1作の本歌取りのようなストーリーなので、今頃になって、比較的若い人たちが、テレビシリーズのファースト・ガンダムを観始めたらしい。私もそれにちゃっかり便乗して、ほぼ半世紀ぶりに再視聴。まぁ、技術的なこと言い出せばツッコミどころは満載ながら、今では伝説になってしまったセリフが多いぐらい、脚本が素晴らしい。

とまぁ、ガンダムを語り出すとキリがないので、今回は、実写の日本映画やドラマが面白くなってきたというお話。

言うまでもなく、この流れはネットフリックスの影響が大きいでしょう。まず予算とスケジュールの感覚が、昔ながらの日本の放送局とは桁が違うレベル。それにスポンサーの意向や芸能プロダクションの思惑に縛られないので、作り手が本当にやりたいテーマで、最適な俳優を選べるのもある。実際、実力はあっても、スキャンダルで干されていた人が、重要な役所で出演してますからね。

もちろん、このような条件が揃ったから、いきなり質の高い映画やドラマができたわけではなく、長年に渡って培われてきた、日本の映像作りの下地があったからこそ。今まで、せっかくの世界レベルだったポテンシャルが、抑圧されてたんだ思います。敢えて書くまでもなく、例えば黒澤明さんや伊丹十三さん、宮崎駿さんなど、どの国に持って行っても、絶賛されるクリエーターは存在してますから。

さて、そのネトフリでの日本作品ですが、ネットで見ている限り、大きな話題になり始めたのは、コロナ禍前の「全裸監督」、その後の「サンクチュアリ」辺りじゃないでしょうか? ネトフリ制作ではないですが、それと並行するように、庵野秀明監督の一連の「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」の「シン」シリーズ。そして一番最近で、私がドハマりしたのが「地面師たち」。

ただフィリピンでは、どれも日本国内ほどの話題にならなかったようです。と言うのは、とてもエロティックだったり暴力的だったり。あるいは、1950〜70年代の人気映画や番組のリメイクのため、オリジナルをまったく知らないフィリピンの若い世代には、とっかかりが無さ過ぎた。つまり分かりやすくて、家族で観られるというのが、とても大事な要素。

ところが、これを一気にひっくり返しそうなのが、つい先日、配信が始まった「新幹線大爆破」。内容的には「シン新幹線大爆破」(語呂は良くないけど)と呼びたいほど、旧作への敬意と愛に溢れつつ、新解釈と新表現で、フィリピンの観客にも十分アピールできる仕上がりになってます。

それだけでなく、外国から熱い視線集める、日本観光のシンボルともいうべき新幹線が主役だし、すっかり有名になった、日本的な時間厳守・高品質のサービスが、そこかしこに登場する。しかも旧作同様にJRの運転士や車掌が、英雄的に扱われてますからね。パニック映画でありながら、これほど日本や日本人をポジティブに描いた作品も珍しい。

これなら、JR東日本が全面協力したのも頷けます。CGやセットが上手く組み合わされてたそうですが、やっぱり本物の質感は素晴らしい。正直、旧作では、ストーリーがシリアスで緊迫感に溢れていただけに、ミニチュアだと気づいた瞬間に、ちょっと冷めてしまったものです。少なくとも新作では、どこまでが本物でどこからが作り物か、判別できませんでした。

案の定、ユーチューブに投稿された、英語字幕付き予告編を、私のイロンゴ語の家庭教師のバンビやエイプリルに見せたら、大喜びのテンション爆上がり。「絶対観ま〜す」だそうです。

他には、これまた日本ではたいへんな話題になった「侍タイムスリッパー」。ネトフリとは違い、予算の少なさをアイデアと情熱でカバーした佳作。ある意味、「ゴジラ-1.0」も、そういう側面があったそうなんですが、いずれにしても、フィリピンの人たちに自慢できるような日本の作品が続けてヒットする状況は、喜ばしい限り。

唯一残念なのは、VPNを使わずに、普通にフィリピンで鑑賞できるコンテンツの数が、まだまだ十分とは言えないこと。ネトフリでも、ファーストガンダムは地域限定だし、侍タイムスリッパーやシンゴジラは、今の所、アマプラなどでしか観られません。

ということで、いろいろ書きたい放題に書きましたが、フィリピン移住直後の12年前は、これほど夢のような環境が実現するとは、想像もできませんでした。本当に、良い時代になったものです。



フィリピンの大学受験

2013年4月に、家族でフィリピン・ネグロス島に移住した私たち。今月(2025年4月)でちょうど干支一回りの12年が経ちました。当時7歳だった息子も、もうすぐ二十歳。いよいよ高校を卒業して、大学入学という時期に差し掛かっています。

息子は、移住時に小学1年生だったので、そのままいけば、地元の小学校に2年生に編入のはず。家内が選んだのが、私立の英語で授業をする小中高一貫の学校。移住早々に編入試験を受けに行きました。

すでに英語は、家内の絵本読み聞かせなどのお陰で、そこそこ話せたし、他の教科も問題ないと思っていたら、フィリピノ語にまったく歯が立たない。日本では優等生だった負けず嫌いの息子は「難し過ぎる!」と途中で泣き出しちゃったらしい。まぁ、いくら小2レベルとは言え、よく考えたら、今までほとんど接点のない言語。日本でも友達や親戚が来たり、電話で家内が話すのは、ネグロス島の方言のイロンゴ語だったしなぁ。

そこで校長先生の提案は、フィリピノ語以外は大丈夫だから、1年遅らせて1年生からやり直しではどうですか?というもの。実はフィリピンでは、それぞれの子供の家庭の事情や、発育状況に合わせて、入学時期が1年ぐらい前後するのは、よくある話。日本でも最近は、早生まれは何かと不利で、その後の人生にも影響が出るなんて、脅しのような風説が流布されているので、こういう柔軟性は大いに結構。

さて、ここからは親馬鹿の自慢話になってしまうんですが、その後メキメキと頭角を現した息子。年に4回ある定期考査では、毎回、英語や科学(理科)、算数などの主要教科で、学年1位とか2位の賞状やメダルを貰ってくる。全教科の平均点が90点台を下回ったことがありません。唯一フィリピノ語だけは7〜80点台で、一度だけ追試があったものの、それもご愛嬌という感じ。

勉強ができるからか、あるいは、数少ない日系の子供で珍しいからか、小学低学年の頃は、やたら女の子にモテました。拙い手書きの、メモみたいなラブレターを貰ったりしたことも。その後も、州都バコロドで定期開催される、学校対抗のクイズ大会(一種の模擬試験みたいなもの)に何度も出場。そんな感じの12年間で、特に反抗期のようなものもなく、気がついたら、もう高校の卒業式も終わりました。

次が、大学受験となるわけですが、まず目指したのが、フィリピンの最高学府と言われる、国立のフィリピン大学(通称UP)。なぜかラテン語やモンゴル語、韓国語にロシア語などを、ユーチューブで「自習」するのが大好きで、フィリピン大学で言語学を勉強したいとのこと。以前に、セブに家族旅行した際に泊まった韓国系ホテルの館内で、ハングル表記をすらすら読んだのには驚きました。

UPの入試というのは、ちょっと変わっていて、10カ月も前の前年8月に、各地に設けられた特設会場で1日だけの試験があります。ちなみにUPのキャンパスは、マニラ首都圏、セブ、イロイロ、ダバオなど、各地に点在。家内は、マニラで4年学んだあと、イロイロに隣接するミアガオのキャンパスで、私と結婚するまで研究員として働いていた、UPの卒業生です。

さらに変わっているのが、UPの試験結果が判明するのは、半年以上も後の4月。競争率10倍の難関だったし、息子も「半分ぐらいしか分からんかった」。なので、年が明けてからは、地元の公立・私立合わせて3校を受験することになりました。

そのうち二つの国立のフィリピン工科大学と、州立のカルロス・ヒラド記念大学は、すでに合格が判明。四つ目の私立セント・ラサールは、2段階式で一次試験はオンラインで選抜。今、息子は一次を通過して、二次試験の開催を持っているところです。他にも別に、奨学金の試験もあったので、全部で6回のお受験。もうベテランの域ですね。

そして、まだ最後のラサールが終わっていない時点で、UP合格の嬉しい知らせが届きました。板書された合否発表を見に行ったり、郵送での通知ではなく、登録したアドレスにメールが来るんですね。最近は、日本でもそうなのか?

こうなると、当然UPに行くのかと思って、マニラでの一人暮らしをどうサポートしようかと思い悩んでいたら「ラサールに合格したら、そっちに入学したい」んだそうです。何でも、UPの言語・文化学部より、ラサールのコミュニケーション学部の方が、息子の学びたいことのイメージに合っているらしい。UPを蹴って地方の私立校を選ぶなんて、勿体無いなぁと思い、今流行りのAIさん(ツイッターのGrok)にお伺いを立てたら、UPが東大ならば、ラサールは早稲田・慶應に匹敵する名門私立校との回答。へぇ〜、それは知らんかった。


バコロド市内にあるセント・ラサール大学

ということで、次の注目は、ラサールの二次試験結果と奨学金が貰えるかどうか。フィリピンでは国公立なら基本、授業料はタダなんですが、私立だとお金がかかります。もちろん日本の私立大に比べれば大した金額ではないものの、そりゃ安いに越したことはありません。

現在フィリピンは2カ月間の夏休み中。6月にはすべての学校で新学期が始まりますから、それまでには、息子の進学先も確定する見込み。結果が分かり次第、このブログでも報告しますね。


2025年4月26日土曜日

バランガイ訴訟寸前、隣の騒音

 まだやってんのかいな?と言われそうですが、今年1月から始まった、向かいの家のリノベーション。そこから出る騒音で、延々と揉め続けております。

これは、お隣さんが土地と家を売り払って、その後の新しいオーナーが元凶。普通に工事の騒音だけなら(それでも相当うるさいですが)まだしも、作業用BGMとばかりに、大きなスピーカーで連日の大音量音楽を鳴り響かせる。折しも乾季真っ只中で、真夏のような暑さなのに、窓も開けられない。私が使っている書斎は、運悪く工事現場の真正面。昼間は締め切って、エアコン全開するしかありません。

以前も投稿したように、メイドさんや宅地の警備員にお願いして、何度も苦情を入れてもらいました。その都度、一旦(音楽だけは)静かになるものの、翌日には元の木阿弥で同じ事の繰り返し。さらに、庭の整備と周囲のフェンスだけで終わりかと思ってたら、なんと離れを新築し始めました。あと1〜2週間の我慢だと自分に言い聞かせてたのに、それから1カ月以上経っても、まだまだ終わりそうにないのが、現時点の4月末。とうとう工期が3カ月を超えてしまいました。

ところでこの話、一般的なフィリピンの住宅地ならば、音楽を鳴らして何が悪い?というフィリピン的常識が通用するんでしょうけど、ここは、1区画が数百万円もするお高〜いサブ・ディビジョン。フェンスで隔離され、十人以上の警備員が常駐し、住民は、決して安くはない管理費を支払っています。そしてサブ・ディビジョンのルールとして「大音量の音楽は禁止」が謳われている。実際、工事でもない限り、訪ねてきた友人や親戚が驚くほど、フィリピン離れした静けさ。私の購入動機の一つが、この静かな環境なんですよ。

こんなイタチごっこが続き、とうとうセント・フランシス・サブ・ディビジョンの管理事務所である、通称クラブハウスに直訴。幸いなことに、ここの責任者である40代ぐらいの女性マネージャーは、私の窮状を理解し、とても親身になって相談に乗ってくれました。

向かいのロットの新オーナーは、マニラ在住で休暇用の別荘代わりにここを買ったという大金持ち。マネージャー女史は、マニラまで何度も電話して私の代わりに苦情を入れたり、時には自ら現場に足を運んで大工と直接話してくれたり。そのオーナー自身がここに来た時には、私との直接の話し合いをアレンジしてくれました。

さて、その新しいお隣さんなんですが、おそらく私と、そう年も違わない初老の男性。これが実に嫌なオッさんで、フィリピンの金持ちによくいるような、尊大で冷笑的で、自分より裕福でないと値踏みした相手には、敬意のカケラも見せないという手合い。なまじっか頭が良くて、言葉使いは丁寧なだけに、余計ムカつきます。

最初は全然話が噛み合わなくて、自分の家で音楽を聴くのは私らの権利でしょ? 全然うるさいと思いませんけどね。もっと高い二重窓でも付けたら? そんなに静かなのが良いなら、墓場に住んだらどうですか? なんて具合。そもそも、私の方を見ない。同席したマネージャーの方だけを向いて喋ってる。こんなあからさまな侮辱は、さすがに初めてです。

ところが、どうやらサブ・ディビジョンのルールは知らなかったようで、クラブハウスの壁にデカデカと貼られている箇条書きを指差されて、しばらくバツの悪そうな顔。そこから態度が一転して、ちゃんとこっちを向いて「ごめんね、できるだけのことはするから。」となり、交渉は終わりました。

ちなみに私は、終始低姿勢。もう移住以来最大の忍耐力を行使。というのは、話がもつれた時は、ここからバランガイ(町内会)訴訟、場合によっては裁判所へ、なんて事になる可能性もあるので、少なくともクラブハウスのスタッフは、「被害者」であることを強調し、味方につけておくのが得策、という考えがありました。

それにしても、この気分の悪さは初めてじゃないなと思ったら、昔いた大企業の部課長で、これとよく似た奴が何人かいたんですよね。下手に金や権力を握ると、人間というのは、どこに住んでいても、同じようになってしまうらしい。

これが4月中旬の聖週間前。このまま終われば、めでたしめでたしだったのが、イースター明けで工事再開して、そこから数日したら、以前にも増して大音量BGMまで再開してしまいました。それに苦情を入れたら、今度はオーナーの息子が、何をトチ狂ったのか、爆音エレキギターでヘタクソなヘビメタっぽい演奏を始める始末。これは明らかに意趣返しですね。しかもかなり子供っぽい。

さっそくまたもやクラブハウスのお世話になって、マネージャーからマニラのオーナーに電話。現場には警備員が駆けつけて、地獄の演奏会はお開きとなりました。

その時のマネージャーさんからのアドバイスは、まず書面でもう一度苦情を入れて、それでもだめだったらバランガイ・オフィスに行くべきです、とのこと。今これを書いているのは土曜日の午前中で、音量はだいぶ控えめになったとはいえ、相変わらず音楽は流れてる。一応様子見の格好ですが、ひどくなるようなら、月曜日はバランガイ・キャプテンに相談になるかも知れません。あんまり気は進みませんけどね。


2025年4月24日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 美貌のシングルマザー

 約半年ぶりに、美女図鑑の新作です。

今回のモデルは、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師、エイプリル嬢。名前の通り4月生まれの彼女の誕生日プレゼントで、似顔絵イラストを描いたわけです。ちなみに前作のモデル(やはり誕生日祝い)が、エイプリルの叔母で、同じく私の家庭教師バンビ。元々バンビは、フィリピン教育省・シライ事務所で働く家内の同僚で、現役の高校教師。勤務のない週末を利用して、週に2時間、私にイロンゴ語を教えに来てくれてます。

ただ、とても多忙なバンビ先生。時々時間外勤務もある上に、隣街タリサイ市にあるプロテスタント教会の熱心な信徒。ギターやピアノが弾けて、催事があるとスタッフとして招集されるので、頻繁に私の授業が飛びます。そのためのバックアップとして、エイプリルにお声がかかったという次第。

今年(2025年)に入ってからは、ただでさえ忙しいバンビは、教会の子どもたちにギターを教え始めたとのことで、週末が塞がってしまいました。なので私のイロンゴ語レッスンが、平日の業務終了後になり、授業のあとに私が作った晩ご飯を、家族と一緒に食べたりしてましたが、さすがに毎週これだと大変。結果的にここ1カ月ぐらいは、毎週エイプリル先生のお世話になってます。

さて、エイプリルは、今年の誕生日で29歳のシングルマザー。結婚して男の子一人を授かったものの、旦那さんのメンタル・ヘルスに問題が生じて、同居が難しくなり別居。フィリピンでは法的に離婚が認められていないので、別居(セパレート)と呼んでますが、これは事実上の離婚。その後、中近東に出稼ぎに行くというプランもありましたが、諸般の事情で断念。年齢のわりには、いろいろ苦労してるんですよね。

ここまでなら、フィリピーナあるあるなお話。ところがエイプリルの場合、フィリピンでは比較的めずらしい読書家のインテリ。私の授業でも、事前の入念な下調べを欠かしません。その上、毎日ランニングをして健康維持をする努力家で、さらになかなかの別嬪さん。父娘ほど歳の離れたオッさん生徒としては、なんとか幸せになってほしいと、祈らずにはいられません。

そして以前にも投稿しましたが、叔母のバンビは男運が悪くて、つい最近、二度目のパートナーとの生活が破綻。亡くなったお父さんの借金や、なぜかその前の彼氏のバイクのローンまで背負って、経済的もずいぶん苦しいようです。ついでに書くと、バンビの姉でエイプリルの母親であるグレイスは、我が家のメイドさん。グレイスも、早くに夫に先立たれ、海外出稼ぎでエイプリルを含む二人の子供を大学卒業まで育て上げた苦労人。

つまり、このゴレツ一家の3人の女性へ日頃の感謝の意味で、昨年10月のバンビの誕生日から、今回のエイプリル、次の予定がグレイスと、3連作の2作目というわけです。

イラスト似顔絵は、相変わらずの着物か浴衣を着てにっこりのパターン。これって、フィリピンでは、100%の確率でモデルさんが大喜びなんですよ。そもそもセルフィー大好きなフィリピン女性。さらにアニメの影響で、日本的なものには興味津々。まぁ一種のコスプレみたいな受け止めなのかも知れません。京都を訪れる外国人観光客に、着物や浴衣のレンタルサービスが大人気なのと同じ感覚なんでしょう。

ということで、たまたま誕生日前日に授業があったので、イラストをプリントアウトして額装したものを、エイプリルに手渡し。予想通りの大ウケでした。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2025年4月23日水曜日

炊飯器と発電機2台を買い替えた話

 先月(2025年3月)は、何かとモノがぶっ壊れた1カ月でした。数日前に投稿した自転車の買い替えもそうだし、その直後には、もっと生活に密着した製品が次々と不調。

まずは炊飯器。これは10年前に、家内が仕事で日本出張した際に、関西空港の免税店で買って来てもらった五合炊き。主に爆買い中国人を当てこんだと思われる、パナソニック・ブランドの「日本製」。当時は、ネグロスの家電量販で並んでる炊飯器って、どれも安物ばかり。それに比べればタイマー炊飯や、白米以外にお粥で玄米などの炊き分けもできるし、一番助かるのは早炊き機能。まぁ日本なら当たり前なんですけどね。

それから10年。さすがの日本製も内釜のコーティングが剥がれてきて、炊き上がったご飯の一部が固くバリバリに。炊飯の機能自体は問題ないだけに勿体無いけれど、相変わらずダメダメなフィリピンのアフターサービス。マニラとかセブならおそらくパナソニックのサービスセンターがあるんでしょうけど、僻地ネグロスでは、まず無理。調べてはみたものの、そもそも日本製なので、フィリピンでサービスパーツが入手できないようです。買えたとしても、内釜って結構高いんですよね。

まぁ10年も使ったし、本来の使命は果たしてくれたと割り切って、新しい炊飯器の購入となった次第。でもネグロスでマトモなのがあるか? 結果から言うと、州都バコロドの一番大きな量販店で、パナソニック・ブランドのものを見つけました。やっぱりフィリピン経済が好調で、コロナ禍からも完全復活した結果か、これ以外にも、それなりに高級・高機能な製品が並んでました。フィリップスの五合炊きなんてのもあって、ちょっと悩んだんですが、結局家内と相談の上、店頭では一番高価だった十合炊きに決定。ちょうど自転車と同じ10,000ペソ(約2万5千円)也。


早速買ったその日からフル稼働で、見るからにハイテクな外観は格好良いものの、操作が全部タッチパネルで文字表示も小さい。日本国内市場では「ユニバーサル・デザイン」を標榜していた会社のわりには、私のような老眼持ちに優しくないですね。ちなみにフィリピン移住前は、パナソニックでユーザーインターフェイスのデザイン担当だったので、ちょっとびっくり。案の定、メイドのグレイスおばさんに操作方法を教えるのも一苦労。

とは言え、ご飯の炊き上がり具合はまったく問題なく、さらに内釜のコーティングがずいぶん進化していて、ご飯のこびり付きがほとんどない。洗うのも楽だし。テレビや携帯では、中国/韓国メーカーの後塵を拝している日本ブランドですが、この手のハード・ウェアでは、まだまだ頑張ってますね。

それとほぼ時を同じくして、母屋と離れで2台使っている発電機が両方とも不調。まだ購入後6年ぐらいしか経ってないのに、電圧が不安定で炊飯器が使えないし、一旦エンジンを止めると、半日ぐらい間を置かないと再起動できない。ついに一台がガソリン満タンなのに、停電の真っ最中に動かなくなりました。実はこれまでも、ガソリン漏れやら何やらで、何度も修理してたんですよ。ちょうど真夏に差し掛かり、日本から高齢両親を受け入れようという時期だったので、2台とも思い切って新しいのを買う事しました。

ちなみに、ネグロスでの電力事情は、これほど経済事情が好転しても、私が初めてこの島に来た四半世紀前とほぼ同じ。30分から数時間の停電は頻繁にあるし、一月に一度ぐらいは、メンテナンスと称した12時間もの計画停電。発電機がないと、相当不便なことになってしまいます。

ということで、こちらは昔から充実した品揃えの、前回購入したのと同じ店で、同じメーカーのものを選びました。ただ、それなりの技術革新があったようで、発電量はちょっと大きめでエンジン音は小さめ。ついでに値段も上がっていて、2台で10万円近い出費になりました。痛たた...。


そしてお約束のように、新しい発電機を設置してから1カ月も経つのに、これを使うような停電は、まだ発生していません。



2025年4月22日火曜日

教皇フランシスコ死去


出典:PGurus

 何度もこのブログに書いて、一部の読者の方には鬱陶しがられるぐらいですが、私はカトリック信徒でございます。それも30歳をいくつか過ぎてフィリピンと縁ができてから、今私が住むネグロスの教会で洗礼を受けたという変わり種。そんな俄か信徒のせいか、カトリックの総本山であるバチカンの体制や、日本の高齢化が著しい教団に対しては、少々斜に構えて見る癖が抜けない。そんな私でも、全世界のカトリック14億6千万人のリーダーたる、教皇死去のニュースには、粛然とせざるを得ません。

もうご高齢だし、何度も入退院を繰り返しておられたのも周知の事実なので、正直なところ「来るべき時が来てしまった」感はあります。しかし教皇フランシスコは、清貧を貫いたアッシジの聖フランシスコの名を継いだ方であるだけに、私のような末端の不良信徒ですら親しみを覚えるほど。まさに信徒うちでの愛称である「パパさま」に相応しい、飾らないお人柄でした。私だけでなく、おそらく世界中の信徒から愛惜の念が寄せられていることでしょう。

当然、人口の八割がカトリックのフィリピンでは、死去の知らせと同時に、各種の報道だけでなく、フェイスブックでも個人からの哀悼の投稿が溢れました。

ところで、キリスト教にあまり馴染みのない方には、意外に思われるかも知れませんが、少なくとも私の知る限り現代のバチカンは、過去を反省し自己変革をしようとする姿勢があります。その動きは決してスピーディとは言えないし、顕著になったのは1960年代前半の第2バチカン公会議や、1978年即位のヨハネ・パウロ2世以降ですが、亡くなったフランシスコ教皇は、その流れを汲む方だったと思います。

古くは地動説を唱えたガリレオへの迫害について、あるいは第二次大戦中、ナチスの残虐行為の黙認などには、公式に過ちを認めて謝罪しています。まぁ何十年、何百年も経ってからの謝罪に意味があるのか、という批判はもちろんありますけど。

最近の事例で言うと、世界各地で発覚したカトリック聖職者による信徒(特に未成年者)への性的虐待や、同性カップルへの対応などが、ずいぶんと物議を醸しました。残念ながら、こうした問題は解決には程遠い時点で、教皇は天に召されてしまいました。おそらくパパさまは、苦悩されたんじゃないでしょうか。公式のご発言内容が揺れ動いたのは、その裏返しなのかも知れません。

対照的にカトリックに比べて、日本では明るくて開明的なイメージのあるプロテスタント。フィリピンではマイノリティながら、確固たる地位を占め教会の数も多い。私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)の歴代6人の家庭教師のうち、今お世話になっている2人を含め、なんと4人がプロテスタント。どの人も決して石頭ではないんですが、こと性的少数者や進化論、ビッグバンのような宇宙論になると、途端に話が噛み合わなくなります。

つまりカトリックが、このようなイシューに柔軟な姿勢を取っているのに対し、聖書の記述を文字通りに信じる、いわゆるファンダメンタリストの立場。もちろん一口にプロテスタントと言っても、宗派・会派によってすごく幅があるので、たまたま私が知り合った人たちがそうだったんでしょうけど。おそらくフィリピンのプロテスタント信者の方々は、カトリックに失望して改宗、というケースが多いので、教義や信仰がより先鋭化する傾向があると思います。

ちなみにフランシスコ教皇が、先代のベネディクト16世の生前退位を受けて即位されたのが、2013年の3月。私たちがフィリピンに移住したは、その数週間後の4月初旬だったので、偶然ながら、私たちのフィリピン暮らしは、パパさまと共にあったことになります。つまりちょうど12年の在位期間。即位当時、すでに76歳になっておられました。さらにただの偶然ながら、今ネグロスの自宅で同居中の、私の両親と同い年なんですよね。あの年齢で死の間際まで、現代のローマ教皇という激務にあったというのは、ものすごい精神力と言う他はありません。

ということで俗世の関心事は、次の教皇はどなたに?となってしまうんですが、有力候補と目される4人の中に、ルイス・アントニオ・タグレというフィリピン出身の枢機卿がいます。年齢は、私より5歳上の67歳。実は、前回のコンクラーヴェ(教皇選挙)でも有力視されていたとのこと。私個人の希望としては、ぜひアジア出身者初の教皇になっていただきたいと思っています。